孤独を感じているあなたに 
 
 あなたの後ろには必ずあなたを見守ってくださっている人が(守護霊)がいます。その人は直接あなたにあれこれすることはありませんが、あなたを援助してくれています。そして常にあなたを見守り、そっと囁いています。

 またあなたの魂は、あなた(の魂)だけではなく、複数の魂に取り囲まれてできています。あなたは、あなた1人だけでいるのではありません。複数の魂に取り囲まれているのです。だからあなたはどんな時も決して1人ではないのです。


 山根麻以さんの歌に「輝きの音」という曲があります。その冒頭でこの曲が誕生することになったきっかけが話されます。それはアフリカのある部族では、新しい生命が誕生するとみんなでその子を円になって囲み、その子の魂の曲を歌うそうです。そしてその歌はその子の誕生日やいいことがあった時など記念すべき時ごとにみんなで歌うそうです。  

 また、その歌はもう一つ歌われる機会があるそうです。それはその子が道に迷った時、あるいは道を外しそうになった時に、やはりみんなでその子を囲んでその歌を歌うそうです。それによりその子はまたその子が歩むべき正しき道に戻れるのでしょう。

 私は最初その話を山根さんのライブで聴き、「おや!なんだかメッセージ性にあふれたいい話だなあ。」と感心しました。その後に続くメロディも歌詞もとても優しさにあふれていており、感動以外の何ものでもありませんでした。ライブが終わったあと私は早速「輝きの音」の入ったCDを購入し、それ以来その曲は私のお気に入りの曲となりました。そしてしばらくはその話、そしてその詩もそのままの意味で取って聴いていました。それは何度聴いても耳に心地よく、心にしみわたる曲でした。

 ところがあるときふと感じることがあったのです。それはもしかすると、あの話はアフリカの部族だけの話ではなくて、世界中のみんなに共通することではないかと思ったのです。何故かというと、私たち一人一人の後ろには少なくとも6人の人(守護霊)がいて、私たちひとりひとりを見守っていてくれるそうです。そのことを思い出したとき、これは人間1人ひとりに当てはまることではないかとひらめいたのです。


 あなたの後ろには6人(以上)の人達がいます。あなたがこの世に誕生すると同時に、彼らはあなたを取り囲み賛歌を歌ってくれます。そしてそれはあなたが生きている限り、永遠に歌い続けられます。誕生日のとき、学校を卒業した時、結婚したときなどあなたの喜びの瞬間、それぞれの時にその人達は微笑みながら歌ってくれています。

 そしてまた、あなたが道に迷った時「これからどうしようか、どうしたらいいのだろう。」と考える時も、あなたの後ろからあなたを見つめながら、静かに歌ってくれています。もしもあなたが道を踏み外しそうなとき、あるいは踏み外してしまった時にも、あなたの後ろで静かに歌ってくれています。

 それは、あなたが深く悲しんでいる時、例えば愛すべき人との別れてしまった時、あるいは職場や学校で孤立無援のとき、そんなあなたが孤独を感じてどうしようもない時にも、その人達はあなたを取り囲み優しく歌ってくれています。
「ホントのきみを 僕は知ってる…」「さみしい時は 一緒に唄おう きみのメロディ 魂の唄」と。


 かつて私が四国八八ヶ所を歩き遍路として廻っていた時、徳島の神社の境内に泊ったことがあります。その日の夜、時間は正確には分かりませんが、おそらく0時を回っていたと思うのですが、ものすごい風が吹いていました。風の音はビュービューと鳴り、木々の揺れる音はものすごく、またどこかの家か倉庫のトタンがバンバン音を立てていました。それはまるでそのトタンを引き剥がすような勢いでした。私はすごい風だなあと思うと同時に、この風は何か悪いもの(悪霊)たちが暴れているような気がしました。けれども、その風は不思議と私の寝ている境内にはほとんど入って来ませんでした。入って来ても私の寝ている上の方に軽く入って来るだけで、私の体には全くと言っていいほど、吹きつけることはありませんでした。私はその時「ああ誰かが守ってくれている。」と感じ、不思議と何の恐怖心もなく安心して眠ることができました。

 また私は腸の形の関係あるいは精神的な関係からか、朝トイレに行かないと、歩いていると必ず急にトイレに行きたくなり、我慢できなくなるという、病気ではないのですが(?)、変な習慣があります。だから歩き遍路をしている時は、必ずトイレのある公園や、トイレに行けるところが近くにあるというのが野宿(キャンプ)する場所的条件でした。

 あるとき、夕方5時を過ぎても、テントを張る場所が見つからない。地図を見ても周辺にテントを張れそうな場所もありません。おそらくその日は40キロ以上すでに歩いていたと思います。疲れもかなりたまってきており、「どうしよう。泊る場所がない。」と少し焦りながら僕は海岸線のコンクリの上を歩いていたのですが、遂には「もう歩けない。」と座りこんでしまいました。ここでこのまま眠ったとして、そしてもし誰かが通ったとしても、まさか踏みつけていくことはないだろうと思い、暗くなったらその場に寝袋を出して寝ようとしていました。

 その時何故か、「もう5分だけ歩いてみよう。」と急に思い立ちました。力を振り絞り立ち上がり、バックパックを担いで歩き始めました。すると数百メートル歩いたところに、小さな公園があり、そこにはきちんとトイレもありました。「ああ、また誰かが教えてくれたんだ。」と思い、安心してその場所でテントを張り休むことができました。


 お遍路の旅は同行二人と言われます。例えその人が1人で歩いていたとしても、そこにはお大師様(弘法大師空海)が一緒に歩いてくれていると言われます。それ故に遍路の旅は1人で歩いていても、決して独りではないということです。

 私は高知の海岸でテントを張り寝てた時、若き姿の空海さん(?)が、浜辺でたき火をしながら、ずっとその炎を見つめているという夢を見ました。夢から覚めたとき、テントから出てみると、そこには満月が太平洋に映し出されていました。夢なのか遠き古の空海さんの姿なのか…。

 この「同行二人」もしかすると、お遍路の旅だけではないかもしれません。あなたはどんな時にもあなたの後ろに誰かがいてくれます。そして時にはあなたを囲みあなたへの賛歌を歌ってくれています。あなたの人生には、あなたと一緒に歩んでくれている人がいます。

 もちろんあなたの配偶者、あるいは恋人、子供たち、友人、今ならペットと本当に目に見える存在もあります。けれどももしそのような存在がなく、あなたは1人で周りに誰もいないと孤独を感じたとしても、目を閉じてあなたの心の内を覗いてみてください。そこにはあなたを囲み歌ってくれている人がいます。微笑んでいる人がいます。


 こう考えてみてはどうでしょう。今晩あなたはたった一人で孤独の中にいます。けれどもそれはあなたにあなたの周りにいてくれる人達を感じるチャンスを与えられたというふうに。そして耳を澄ましてください。そしたらあなたはあなたの周りにいてくださる人達を感じるかもしれません。そして聴こえててくるでしょう。「ホントのキミを僕は知ってる…」と静かに歌ってくれているその声が。

 あなたは決して独りではないのです。


参考
「Bird of Paradise」山根 麻以+Visions (galacticnations)
「あの世を味方につける生き方」美鈴 (扶桑社)

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