らいふあーと21〜僕らは地球のお世話係〜


地球人になろう!




 〜地球はでっかい!〜

 20代の頃バックパッカーとして十数か国旅をした。オーストラリア、アラスカ、ニュージーランド、東南アジアなど振り返れば自然を中心に旅していた。

 ほぼ毎日野宿し、星を眺め、そして酔っぱらいながら、2週間かけオーストラリアのパースからダーウィンへと多国籍な仲間たちと共に旅した。続いてエアーズロックのあるアリススプリングへとこれまた多国籍な仲間たちと共に旅をした。

 1週間分の食糧とテント・鍋等を背負ってタスマニアのオーバーランドトラックを独り歩いた。夜ポッサムがテントをノックするので困った…。

 冷たい夏の雨の中1人用の小さなテントを張って眠ったアラスカのデナリナショナルパーク。赤いじゅうたんの上を黄金に輝く毛をしたグリスリーが歩く姿は美しかった。


地球のでっかさを感じずにはいられなかった。


 竜宮城って本当にあるのかもしれないと思ったポナペの海。頭上を3mはあろうかというサメがかっ飛んで行ったかと思えば、これまたでっかいマンタが優雅に頭上を泳いでいた。

 ナポレオンフィッシュと泳いだグレートバリアリーフ。海の中には地上とはまた違う別世界があった。

 訪れた先のどこにもあったのは大自然。そしてその偉大さ。


人間ってなんてちっぽけな存在なのだろうと思った。


と同時にとてもじゃないが人間はこの地球が創造してきたものにはかなわないと思った。



 ヨーロッパを訪れ、人間の創造力を表現した建築物の迫力にも驚きもした。

 日本国内の国宝級建築物を見てその美しさと自然との調和に感動した。

 人間の想造(想像と創造)力ってスゴイ!って思った。

 それでもやはり自然が生み出してきたものにはとても及ばない。


 人間は地球にはかなわない!



 にもかかわらず今では人間による開発(破壊)がすすめられ、地球(大自然)は危機的状況にある。いや、それによって人間自身の生活を脅かし始めている。自分で自分の首を絞めている。


〜身近なところから〜


 子供の頃家の周りには田畑がいっぱいあった。遊び場は、近所の神社と田畑、そして川と池。もの心ついた頃に川は汚れつつあったが、それでもまだ魚がいた。

 田んぼの用水路に季節によってはドジョウがたくさんいた。親父と一緒にザルで掬い、家族みんなでどじょう汁を「いただきます!」なんてこともあった。

 けれどもその用水路はいつしか三方を、場所によっては四方をコンクリートで塗り固められ、今では生き物なんているとも思えない、深く暗い色をした死の世界となってしまった。

 田畑はどんどん埋め立てられ、家やアパートが立ち並び、今ではわずかに田畑が残っているという状態。僕の思い出の風景は消え失せてしまった…。

 大地はアスファルトとコンクリートで塗り固められ土がない。一軒家の家にも土がない。あったとしてもプランターの中の土…。立ち並ぶ建物はいろいろな色や形をしているがどれも機械的にしか呼吸ができない。

 コンクリートジャングルとなった地域は大雨で水の行き場を失い、川が氾濫するようになった…。(これが都市計画か???)

 人間は何故自然を潰し、コンクリートで塗り固め、ストレスを生み出すのだろう。修繕すればまだ50年、あるいは100年持つだろうと思われる古民家を解体し、そこに30年しかもたない家を建てるのだろう?

そして人々は深呼吸さえも出来ずにいる…。


意識の変革が必要だ!


人間の持つ想造力を(良い方向に使って)、この地球に活かすことはできないだろうか。そして地球と共に、大自然と共に共生・共発展できないものだろうか?

人間の意識さえ変われば、それは可能ではないだろうか?

可能なはずだ!


                     ( 旧HP「すべては想いから始まる」を一部修正加筆)





人間は地球のパートナーである〜地球と共生・共発展すること〜をベースに生きていく




〈 これまで 〉

 人間が一番偉い!〜やりたい放題〜人間は自然を支配できる
     ↓↓↓
 地球(自然)を破壊してきた。

けれども本当は

人間は地球の恵みによって生きている(生かされている)。



〈 これから 〉

 地球の許容(地域・地球の循環)範囲における自由(意思)でもって人生をアートする


地球人として Lifeartistになろう!


 大地と共に、持続可能、そして希望の持てる社会の中で

 生命(いのち)を育みましょう!

 人間(魂)の成長を目指してアートしましょう!






TOPページへ