Eikyoというキャンバス 
 








 




 






 






 
 
    
1970 (昭和45)年 愛媛県に 生まれる
 松山市の野原・海・山を駆け巡る。 高校に入るまでは釣りが趣味で、自分で仕掛けを作ったりする。また祖父祖母はみかん畑や稲作をする兼業農家であり、子供のころは畑や田んぼで過ごすことが多かった。
 小学6年の時にアメリカのロックバンドJOURNEYを知り、以降ずっとファンとなる。
 高校生になり理系選抜クラスとなってから、勉強ばかりの日々となる。学校は0時限から8時限まであり、家に帰ってからも夜中の3時頃まで勉強する。休みの日も家で多いときには7~8時間ぐらい勉強した。唯一の息抜きは、パチンコと中学時代の友人との麻雀(そのため高校時代の友達とのバカ騒ぎした思い出がない。それが唯一の後悔か…。)
 1988(平成元)年  岡山大学 経済学部 経済学科 入学
   高校時代の反動で、遊び重視となるが、それでも自力で勉強し 日商簿記2級取得する。ここまでは一応まともであった。
 しかし大学1年の後半より水商売のバイトを始める。時代はバブル真っただ中、金の亡者のごとくとなり、大学に行かず(行けず)、夜遊びにふける。
 ある時気がつけば授業にはついて行けず、人生はじめての落ちこぼれとなり、自己嫌悪に陥る。すべてが嫌になり、半鬱状態となり、自殺志向強まる。唯一の希望が海外に逃亡することとなる。
 1992(平成4)年  オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、パースに飛び立つ
      ホームステイをしながら英会話学校に通う。その後バックパッカー(宿)に寝泊まりしたり、オージーや中国人と家をシェアしたりしながら、職探しをする。英語が話せないため結局は日本食レストランで働くこととなり、キッチンハンドとして働く。
 日本人7人と一軒家でシェア生活。冬の海でスキューバーダイビングのライセンスを取得。約1ケ月間は毎晩夜中まで語り合う生活。
一軒家に泥棒が入る!(自分の場合缶ビールを持ってかれるだけの被害で済むが…)。
シープファームにて農業体験労働をする。
 ケアンズ→ブリスベン→メルボルンと旅し、メルボルンにて兄貴的存在オランダ人ALEXに出会う。
中国人の経営する日本食レストランで働く。
何度もシンクロニシティにあい一体これはどういうことなのかと考える。
ペンギンパレードのツアーに参加し、ペンギンが2度も足の上に乗って来る。ペンギンに親しみを感じる。

ニュージーランド上陸
 (南島)に行き、自然の美しさに感動する。クライスチャーチ→テアナウ→Mtクック 
タスマニアに上陸
 カモノハシを見るために廃線となった線路の上を、映画「スタンドバイミー」の気分で歩く。
 タスマニアのセントクレア湖周辺をトレッキングするが道に迷い遭難しかける。一度はあきらめるが奇跡的に(?)助かる。その際最初の(?)スピリチャル的体験をし、その意味が分からず答えを探し始める。
(次回オーバーランドトラックを歩くことを決意)
 アデレートからインデアンパシフィック号に乗り、パースに戻る。
パース→エスぺランス→アルバニー→パース(アルバニーからパースまで生まれて初めてヒッチハイクの旅をする。)
パースは心の故郷となる。(日本に帰ってもいいかなと思えるようになる。)
パースを離れ、インドネシアのバリ島行く。即、食中毒となり2日間寝込む。
 1993(平成5)年  大学5年生となる。友人ほとんどが卒業したため再度勉強を始める。この時期より読書が趣味となる。
英語の勉強の必要性を感じ、今はなき英会話スクールN◎VAに通う。
  卒業旅行として香港へゼミクラスで行く。集団のツアーに我慢できず、自由行動で夜の街を駆け巡る。
 ミクロネシアのコスラエ・ポナペの旅
 オーストラリアで出会った親友MASAと再会。
 ポナペにてダイビング三昧。頭上でマンタが優雅に泳ぐ。その姿にただただ感動する。また内海の竜宮城のような世界をみてその美しさに心を奪われる。ついでに、2メートル以上のサメが頭上を通り過ぎゾ~ッとする。
 1994年(平成6)年 何とか大学卒業
 某機械メーカーに就職
      東京に営業職として配属される。4ヶ月間車が与えられずに、自転車でひたすらローラーする。月200件ぐらいローラー訪問。真夏の炎天下もひたすら自転車で駆け回る。タイヤ3本ぐらい交換。
 初めての営業物件で大負けし、大泣きする。
 営業成績伸びず1年で失格となり、メンテナンスに配置転換される。
 アラスカの旅
 ~デナリナショナルパークにてキャンプ。
  夏の終わりのツンドラ景色の美しさ、グリスリー(灰色熊)の黄金に輝く姿の美しさにただただ感動する。また氷河の見学ツアーに参加し、氷河が海に崩れ落ちるシーンを見てその大迫力に驚かされる。
話し方講座に通う。
社外交流会に参加し始める。 
オランダ・ベルギーの旅
 ~メルボルンで出会ったALEX兄貴、HILDE姉さんと再会する。
  ヨーロッパ建築を見て人間の持つ創造力に驚く。(オランダはどちらかと言うとかわいい街、ベルギー<ブリュッセル・アントワープ>の建築に驚き!)
 メンテナンス部門で売上2位、レポート部門3位となり、汚名返上する。
 1997(平成9)年 アメリカ、イエローストーンナショナルパークの旅 
 キャンプをする予定だったが、体調不良のため宿での宿泊とする。
 国立公園の中で今後の自分の生き方について考え、再びバックパッカーに戻ることを決意する。
帰国後即辞表提出し、「バックパッカーに戻ります」宣言する。
     再びオーストラリアの旅
 グレートバリアリーフを潜り、ナポレオンフィッシュを見る。
ケアンズ→アリススプリング→パースへ向かう。(アリス~パースまでは砂漠の中を2日間かけ激走する。)
 かつてのホームステイファミリー(Joanna、Burry)に再会する。
 3週間かけ多国籍軍と野宿をしながらパース→ダーウィン→アリススプリングスまで行くが、その間毎日大自然の迫力に圧倒される。
毎晩流れ星を見て過ごす。&毎晩ビールを飲んだくれる。
クロコダイルのいる川で泳いだり、3mはあろうかというワニがボートのすぐそばを通り過ぎる。
 5年越しの計画タスマニアのクレイドルマウンテン・レイクセントクレアナショナルパークを縦断するオーバーランドトラックをテント・鍋・一週間分の食料等を背負い、約80キロを単独縦走する。
歩いている間、普段は1年のうち半分以上が雨の地域であるにもかかわらず、初日以外晴れの日が続く。
夜ポッサムにテントを襲われる。
5年前遭難しかけた際に置いてきた(缶詰の)空き缶を探すが見つからず…。
マレーシア、タイ、ベトナム、カンボジアの旅
  ~何度も食中毒になりながらもバックパッカーする。
 象に乗り旅をする。
 ベトナムを縦断する。農村地帯を自転車で走り、子供たちと一緒にサッカーや相撲をして遊ぶ。憧れの蟹チャーハン探しの旅。
 カンボジアのアンコールワットに感動し、バンテアスレイに寒気を感じる。
 アンコールトムの中心部で突然瞑想を始める。
 カンボジアを少しドキドキしながら陸路を旅する。
1998(平成10)年 日本に戻り国内の旅
 永平寺にて坐禅研修を受ける。
 その後東京・横浜の外人ハウス(シェアハウス)や友人宅を転々としながら経営コンサルタントにあこがれ仕事を探すが採用されず。
横浜にある養護老人ホームでボランティアを始め、「ありがとう」との言葉に感動し、医療・福祉に興味を持つ。
親友MASAにシンクロニシティ的再開。(彼は現在どこで何をしているかは不明。)
       ホスピタリティコンサルタントの方から老人病院(現在は療養型病床群)を紹介され勤め始めるが、介護保険前の(高齢者福祉の)実態を知りショックをうける。新しい介護に興味を持つ。先端的介護をしている人たちを訪ねて回り、抑制をしない介護に出会う。

日本自然保護協会にてボランティアを始める。
初めての霊的体験をする。(病院で仮眠時自分の名前を呼ぶ声がきこえた!)
初めて谷川岳を訪れる。(新潟の認知症高齢者キャンプに参加)
病院改革を進めるが、改革失敗し挫折する。
自分なりの介護論(介護教育論)をまとめる。
坐禅修行 
 少林窟道場(広島)にて1週間坐禅を習い、イモリが異様に美しく見えその姿に感動したり、(露草の葉の)雫に宇宙を感じる。(疑似悟り体験をする)
東京都豊島区にある特別養護老人ホームにて介護職員として働く。
ジョギングを始める。
社会福祉士の資格を取るため通信教育を受け始める。
独自に仏道修行(禅)をしながら、特別養護老人ホームに移り高齢者介護の現場で介護技術を磨きながら奮闘する。
 弘法大師空海に興味を持ち始め、空海について学び始める。空海について書かれた本を読みあさる。
 秩父の山をひとり修験道する。
谷川岳馬蹄形コースを歩き、その後何故か谷川岳の向かいにある白毛門(しらがもん)を気に入り、何度か足を運ぶ。
毎日3時に起き、社会福祉士の勉強、マラソンの練習をして仕事に向かう(夜勤もこなす)生活をする。
フルマラソン(荒川市民マラソン)に出場し4時間51分にて完走。
社会福祉士取得する。
 2003(平成15)年    空海追っかけ旅
 ~お遍路、護摩行修行
 空海を学ぶうち、彼が見た世界やその思想に実際に触れたいと思い、お遍路となり四国88カ所(+番外寺)1200キロを42日間かけ歩いて廻る。その後鹿児島の最福寺にて同悲・同苦を学ぶため、護摩行修行を行う。
その間毎日が導かれているように感じる。また最福寺にて何度かの霊的(?)体験をする。
東京都北区にある特別養護老人ホームにて介護職員となる。 
体調を崩し、以前のような体力がなくなる。そのため夜勤業務はせず、日中の高齢者介護をしながら、仏道行をひたすら行う。
10キロ程度なら走れるぐらいまで体力が回復する。朝ジョギングでは近くのお寺と神社5ヶ所をめぐる修剣道(お参り)コースとなる。
自分なりの福祉論(組織論)をまとめる。
 生涯学習(インストラクター)に興味を持ち勉強を始め、生涯学習インストラクター1級を取得する。
 再び最福寺にて護摩行修行を行う。
一時期変に霊感が強くなる。(不思議体験続出?)
 東京の介護で自慢できるとしたら、認知症の入所者の人が、やめた後もずっと自分を呼び続けてくれたことかな…。(ごめんね。)
 社会福祉士として高齢者福祉センターにて相談員となる。
 父亡くなる。(親不孝者のため死に目に会えず…。)
 東北地方を旅し、山形羽黒山の修剣道と5重塔に感動する。
2006(平成18)年   愛媛にUターンする。
しまなみ海道を歩いて渡り、瀬戸内海の素晴らしさ(美しさ、穏やかさ等)に感動し、この素晴らしさを多くの人に伝えたいと思い始める。
生涯学習インストラクター協会に入り、定期的にボランティア活動をする。
愛媛にて高齢者介護を続け、有料老人ホームの立ち上げなどにかかわる。

高知にある摩訶不思議なお寺でのヨガを通じて自分の過去世について知る。

福祉10年目にして初めて納得いく介護をすることができる。おそらくなくなられた方も満足してくれたと思う。
このころから自分の新しい方向性を模索し始める。
自分なりの施設介護論をまとめる。
京都(太秦)、奈良(山辺の道)を旅し、スピリチャルを高める。
箸墓にてなにやら感じる
介護職(介護・相談員)から介護事務に移る。
2009(平成21)年 仏道だけでなく、神道、キリスト教などにも興味を持ち、独自に勉強を重ねる。最終的に彼らの見た世界は同じであるという結論に達する。
スピリチャルの世界を深めていく。

ホームページ作成講座を受け、HPの作成を始める。
 2010(平成22)年  研修やボランティア活動の中で自分の好きな事を仕事(ライフワーク)にしている人達と出会い彼らのその姿勢や生き方に感動する。
これからの人生について考える。(バックパッカー精神を復活させることを決意する。)
 2011(平成23)年    祖父祖母からのみかん畑を自分が継ぐことにする。栽培方法を自然栽培とする。(まずは無農薬・有機栽培から自然栽培へと変えていく。)
コンセプトは「安全・安心そして元気の出るみかん」
 仏の世界を目指すのではなく娑婆の世界に身を投じ、娑婆の世界から真実を見つけ出すこととする。
 高齢者福祉に終止符を打つ。(ひとつの大きなカルマを解消したと感じる。)
 これからの夢や希望を語っていた時に3.11が発生したことに何か意味があるのか考える。
  行政機関にて市民活動(NPO・地域づくり)に関わる仕事を始める。その際「協働コーディネーター」という肩書きを無断借用(?)
デザインに興味を持つ
 2012(平成24)年     ハートオブミラクルの映画「1/4の奇跡~本当のことだから」「天から見れば」を見て、この映画を広めなければと思う。
 らいふあーと主催の企画を開始する。
尿管詰まる。
 2013(平成25)年      「協働」という魔法の手法を手に入れる。
「協働コーディネーター」を返上し、「協働クリエーター」へ。
 30年来ファンであるアメリカのロックバンドJOURNEYの追っかけの旅を実行。
自由人となる
サティシュ・クマールの講演に行き、日本のサティシュになりたいと思う。 
重症心身障害児者の在宅支援事業を依頼され引き受ける。今度は地域生活支援コーディネーターとなる。(名目26年1月まで実質26年3月末)
 2014(平成26)年    なるべく国の制度に頼らない障害者支援を開始「クロスデザイン」立ち上げる。
愛媛で個人として初めてクラウドファンディング成功させる。
   独立し、個人事業主となる。(障がい者福祉を中心に福祉全般に携わる)
障がい者支援をする中で、自分自身発達障害等あることを知る。
 
 2016(平成28)年  IncluDe(インクルデ)立ち上げ
 2018(平成30)年  えひめのバリアフリー情報「おでかけイーヨ」の前進「バリアフリー松山」開始
 2020(令和2)年  子育て支援調査に携わり、ゆりかごから墓場までの福祉活動となる。
 2021(令和3)年    波動最高1300のいよかんができ、夢のいよかんまであと一歩となる。
 占星術を学び始める
 家庭菜園始める
   
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