5月18日  (43日目)
→愛媛
 遍路も終わり、とりあえずは帰るだけ…。さあ自分は空海さんに触れることor感じることができたのだろうか?

  正直言うと分からない。触れたような気もする。室戸も石鎚も善通寺も満濃池もそうだったような気もするし、歩く人がそうであったり、あるいは出会った人々がそうだったのかもしれないし…。バックパックがそうだったのかもしれない…。いずれにしろはっきりしないけれど、ただ一つ言えることは、常に自分を守ってくれたもの(者)があり、お陰で無事に歩き続けることができたということだ。

 道で出会った人々、地図、店などのいろいろと目に見えるものもそうだけれども、何か目に見えない存在があり、自分を守りそして導いてくれたことは確かだ。それは仏様であったかもしれないし、空海さんかもしれないし、偶然かもしれないし、あるいは何かの縁かもしれない。とにかくすべてによって自分は今ここにいる。

 自分の中でどんな変化が起きる(た)だろうか?今はまだ夢から醒めて興奮しているようなものだから…。この先数カ月or数年の中でどう生きてくるだろうか?Anyway自分の心が大きくたくましくなってくれりゃあいい。強く優しくたくましく&暖かくね。

 起承転結の承の部分は終わりだ。転じなきゃ。最福寺で転換を図ろう。できるかな?できるだろうきっと。自分を信じて進んでいけばきっとできるだろう。そう苦難とは苦を苦と思わず、難を難と思わず、道を切り拓くこと。苦難は幸福の門である。

      海に浮かぶ月。波に揺れる光。砂に坐る人。星が落ちる。
 

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